趣味はなにか、と聞かれたら旅行か美術鑑賞と答えるくらい、月に一度は国内旅行かどこかの美術館に足を運んでいる私が、うまくそれらの計画をたてられなくなるのが11月の終わりから3月の終わりの約4か月間。どこにも行きたいと思えなくなったり、上手く考え事ができなくなってしまうのだ。
私は、もし人間でなかったら冬眠するタイプの生き物であっただろうと思う。
でもこの間も遠出をしないのかというとそうでもなくて、10月までの元気だった私がたてた計画をもとに、「冬眠期間」の私も旅に出るのである。
冬眠期間でも年末年始休みは少し元気が戻ってくるので、2,3月の予定はこのころに組んだりする。
月に一回は行ったことのない場所に行ったり、知らないことを体験しないと死んでしまう。
そんな気持ちで急くように予定を入れておかないと、人生は仕事を中心にあっという間に過ぎ去って行ってしまう気がするから。
最近の「冬の時期」はどこへ行って何をしていたのか振り返ろう。
11月。
11/16(日)にオンラインで美術検定3級を受けた。
その場で結果が分かると勘違いしていのだが、クリスマスまで結果はお預けということでソワソワする。
社会人になってからは仕事関連の資格勉強しかしてこなかったので、大人になってから初めて100%趣味の勉強をして受験した。
「勉強」はそれなりにエネルギーの要ることだけど、移動時間にテキストを開くことはそこまで辛くなかった。
受験日は午後ゆっくり試験を受けようと思い午前中は出かけていたのだが、移動の電車でテキストを開きながらふと中吊り広告を見上げると三井記念美術館で円山応挙の展覧会をやっていると書かれていた。円山応挙。勉強していなかったら読み方すら分からなかったが、読めるぞ!と勢いがついて、日本橋の近くにいたのでこれも何かの縁かと思いそのまま三井記念美術館で向かった。地名ではなく橋の「日本橋」がある通り、三越やコレド室町があるあたりは古くからの建物が比較的残っていて歩くだけでも好きな場所だ。「三井本館」という立派な名前のついた建物の7階にある三井記念美術館は比較的小さな展示スペースだし、周りにお茶ができるお店も多数あるので、あまり美術に馴染みが無い方にもふらっと行ってみてほしい。
11/30(日)には皇居の乾通り一般公開へ足を運んだ。
紅葉と桜の時期に皇居の一般公開があることは噂程度に知っていたが、この時は母からのリクエストで出かけた。
東京駅のDEPOT(母のリサーチによるとプリンが有名らしい。母は年中自分好みのプリンを探している)というカフェでモーニングをしてから徒歩で皇居へと向かう。乾通りの入口まで一本道だし、同じく皇居へ向かう人々が多くいるので迷うことはない。
警備の方も大勢いて、手荷物検査もある。水筒等飲み物を持参している人はその場で一口飲んでくださいと言われたのは初めての経験だった。
12月。
12/7(土)に比叡山延暦寺に行っている。時期と標高からとても寒かった。
なぜこの時期に行こうと計画していたのは謎だが、新幹線に乗るというのは、それだけで遠くに行く感が得られるから良い。それだけで自分にはなんでも出来る無敵感が湧いてくる。事実、旅行中の私は普段とは別人のように行ったことのない場所について貪欲に調べ、飛び込み、分からないことがあれば見ず知らずの人に訊くことができる。仕事の顧客とまともに話せるようになるまで最短でも1年はかかる普段の私とは全く違う人格が、遠くに行くと出てくるように感じる。
行先を都道府県ではなく「比叡山延暦寺」とお寺の名前で書いたのは、延暦寺の立地に起因する。
延暦寺は山の上にあって、住所のうえでは滋賀県に位置するが、京都府からもケーブルカーでアクセス可能なため、私は新幹線を京都駅で降り、京都側から比叡山に登り、帰りは滋賀側に降りるというルートを辿った。深いこだわりはなかったのだが、滋賀側から比叡山に繋がるケーブルカーが日本一の長さを誇るらしいと聞いて思いつきで行きと帰りで異なるケーブルカーに乗ってみたのだ。
延暦寺では不滅の法灯をじっと見ていた。昨年、後述する「キュンパス」を利用して岩手県の中尊寺に行った際にも同じく「不滅の法灯」と呼ばれるものを見て痺れた。私が生まれるずうっと前からこの火は絶えず燃え続けているのだ。中尊寺にあるものの根本が、この遠く離れた西の地の比叡山延暦寺にあると知り、見てみたいと思ったのが今回の関西旅行の目的だった。
ただし12月は寒いので9月頃か3月に行くことを今の私はオススメする。さらにいうと2026年1月8日から不滅の法灯そのものを見ることができるので、今がちょうどいい時期かもしれない。私が見た不滅の法灯は、その火が灯されているカンテラのような入れ物越しだったので、ほのかに明かりが分かる程度だった。実際の炎はまた違った迫力があるに違いない。
12/20(土)には、上野の国立西洋美術館で「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」を鑑賞していた。ルノワールの「ピアノを弾く少女たち」という作品をどうしても見たかっただのだ。この作品を初めてみたのは5歳~9歳頃のこと。具体的な時期は曖昧なのだがこの時期ピアノを習っており、その教本の表紙にこの絵が載っていたことを強く覚えている。ピアノのレッスンには姉と一緒に通っており、発表会で一緒に連弾したことも覚えている。その印象のせいか、今は全く弾けないピアノの記憶がルノワールのあの一枚に集約されているのかもしれない。そのような想いから、大学時代の卒業旅行でフランスに行った際にオルセー美術館に行って現物を見ようとした。しかし、その時は今回の上野での企画展のようにどこかの美術館へ貸出中ということで「ピアノを弾く少女たち」には出会えなかった。その少女たちが、今回は上野に来ている!ということで念願叶った。様々な絵に言えることだが、実物は学生時代に教科書や資料集で見たものよりずっと大きいことが多い。思ったより小さいと感じた絵の代表作は自分の中ではモナリザだ。
「ピアノを弾く少女たち」は企画展の中でも目玉のようにピックアップされていたから、作品の前には多くの人がいた。しかし作品の大きさから、遠くからでもその存在を感じられるので第一印象の手前、第0.5印象くらいのところで「やっと見ることができる」と「でかい」と思いながら、人の流れをしばらく見守って、落ち着いたここぞというタイミングで絵の前にいく。色の重なりが実に立体的に見える。印象派の、遠くから見るとぼやけたような色彩のとらえ方を気味悪いと受け取る批評家も当時はいたそうだ。たしかに肌の血色という点においては色を重ねることによって見えてくる暗さがそう感じさせるのかもしれない。しかし私の中でこの絵は、幼少期の頃からたしかに私の中で生きてきた。実物を見た後の今でも、一枚の絵に切り取られたあの空間が私の中で確かに息づいている。
1月は山形旅行に行っている。詳しくは山形旅行1日目 銀山温泉~天童温泉で。
2月。
この月は我慢の月。夜間作業の必要な仕事が詰まっており、昼夜逆転気味であったためなかなか外出できなかった。
その分いつもより多く本を読み、映画を観た。
疲れた時は音量を絞って海外の映画を字幕で眺めると良い、ということに気が付く。音声がなくても何を喋っているかは分かるし、台詞を細かく追う元気がなくても見知らぬ国の景色を観ているだけで遠くに行ったような気になって癒される。
3月は日帰りで山形と岩手に行っている。詳しくは大人になって良かったなと思うときで。
以上、今だから冷静に振り返ることができる、冬の思い出たちでした。


コメント